寮長のまなざし107不自由な生活が普通

公開:2025/9/6更新:2025/9/7

 2学期が始まったばかりだというのに、毎日のようにいろいろなことが発生する。成長期の子ども達が90人近くいれば、昔の学校の2クラス分でもあるし、寝食を共にするのであれば、なおさらかとも思う。

 古い考えと思うが、寮生活では自宅で過ごすのと違い、集団生活を送るため、人との距離や関係も学ぶ機会となり、不自由に過ごすことになる。この不自由さを中学校・高等学校時代に味わっておくことも必要とは思う。

 学校の常識は世間の非常識と揶揄されたこともあるが、現在、学生寮ではレストラン内でのスマホやiPadの使用を禁止しており、ルールを破れば、一定時間、預かっているが、今週はレストランでのスマホ利用が何件かあり、預かることとなった。
 レストランでの使用禁止の理由は食事の最中はスマホに集中せずに、食事を楽しんだり、友人との会話を楽しむことが中心にするためとの理由である。昔で言えば、家族団らんで食事をしながらTVが付いていると、TVを邪魔者扱いしたように、その役割がスマホに変わっただけである。
 世の中を見てみると、特にひとりで食事をする人はスマホを触りながら、食事をしている人をよく見かける。食事しながら、スマホもチェックできれば、時間に追われる現代人にとっては一石二鳥で、多くの社会人がこの行動をとっていることを考えれば、この方が多数かもしれない。

 では、寮ではどうするか?。一人で食べる人はスマホの持ち込みOKで、複数で来る人はNG?。そんな分け方は不公平だから、全員がスマホ持ち込みOKにすると、ほとんどの生徒がスマホを触りながらの食事になってしまう。

 全員を公平に扱うか、条件によって対応を変えるかで、公平さは変わってくる。
 古代の哲学者のソクラテスの著書には記載がないそうだが、彼は「悪法もまた法なり」と話したと聞いたことがある。
 皆が気持ちよく、公平に過ごすために、法はあるとは思うが、法や規律は不自由の権現でもあるように思う。

 寮生活の規律を厳しく、といっても私にしてみれば、普通の状態にしたいと思っており、現在、寮生徒会の生徒や寮生と意見交換しているが、90人が同じ屋根の下で過ごす難しさを日々感じている。いい習慣をつけてもらいたいが、罰則を伴わずに行動変容ができないものだろうか。