寮長のまなざし㊽天災は忘れたころに
公開:2025/6/5更新:2025/6/5
今日は夕方、寮生の帰りを玄関で待ちながら、倉庫に眠っていた10年ほど前の生徒の研究発表のパネルの資料を剝がしていた。名前のところだけ外して、廃棄できると思ったが、万が一災害が起こって、体育館に人が入る場合、プライベート空間を作るためにパネルを再利用すればいいと思い、必死に資料を剥がしていた。
寮生の迎えに来てくれた保護者から、「災害用の空間用にするなら、内容が残っていた方が退屈しのぎにいいのでは?」と言われ、それもそうだなと思い、今後は名前のところだけを剥がして再利用しようと思う。
災害といえば、全校生徒が帰宅困難になっても一晩は過ごせるようにと昨年は学校で全校生徒分の簡易防災セットを購入した。日本は地震大国であるから、防災、減災への備えは重要だが、日本へのインバウンド需要が今年の7月は特に少ないらしい。どうも、理由として、たつき諒さんが「私が見た未来」という漫画の中で、2011年3月の東日本大震災を予言し、本当の大災害は2025年7月に来ると予言しているのも原因らしい。うろ覚えだが、台湾の右横当たりの海に渦のような丸い穴が開き、隕石か地震かそれ以外かわからないが、この影響が日本に甚大に来るというものだったと思う。
本当に未来予知ができれば、世の中の常識がひっくり返ってしまい、ナンバーズのあたりを私にだけ教えてくれれば、お金の心配をしなくて済む。
私はノストラダムス世代なので、1999年の7月に人類が滅ぶのを信じていた時期があり、勉強しても無駄だと真剣に思い悩み予言ビジネスに翻弄された口である。
昔は、学研のオカルト雑誌「ムー」の愛読者で、現在の編集長の三上丈晴氏は私の大学のワンゲル部の一つ下だったので、よく知っており、自分自身も陰謀論やオカルトにドはまりした時代もあった。
今ではGPSで地面のズレや地磁気の乱れ、電離層への影響など、いろんな切り口から地震予知をしているが、未だに予知は困難である。私といえば、ロバート・チャルデイーニさんの「影響力の武器」の著書の中で、新興宗教団体が予言を元に人を集め、当たらなかった後には皆の祈りが通じたとか、別の理由で存続を続ける分析を読んで、一気に予言と予知への熱も冷めてしまった。
私たち人類は、警戒し心配する脳が生き残ってきたので、心配性の脳を持っているという。
杞憂は昔の中国の杞の国の人が毎日青い空が落ちてくることを心配したことから来た故事であるが、予言は当たらないと言いながらもいい気分はしない。
7月とは限らずに、地震大国の日本に暮らす限りは、防災の意識は常に必要であろう。天災は忘れたころにやってくる。