寮長のまなざし㊳誰がために寮はある(前)
公開:2025/5/25更新:2025/5/25
高校寮生がサッカーの大会に出場し、競技場でのスナップ写真が送られてきた。寮内とは見違えるくらいのいい顔をしており、寮でももっと輝いてくれればなあという話題になった。
本日は学校で英検があり、保護者の方の来寮も多かった。お兄ちゃんが大好きな妹はいつ来ても可愛らしいし、兄妹が入寮しているご家族はご両親が来られて受付前で仲睦まじい様子を見せていた。ブログを丹念に読んでくださっている保護者からは「宅急便と宅配便は違う」という話題も提供していただいた。女子寮生が虫を退治してくれと駆けつけてくることも日常になったし、いい時間がそれぞれで過ごせてくれることが一番である。
中には点呼遅れの累積で奉仕活動をしてくれた(正確には「させた」だが)、年々、心が落ち着いてきていると他の寮の先生も話していた。
今後、入寮したいという通学生も出てきている。いいタイミングでもあるので、寮は何のためにあるのかと徒然るままに書き記したい。寮長になることが決まってから、「寮って何のため」と考えてきたのと、話も膨らみそうなので、一回のブログでは書ききれないので今回を前編とした。
私が寮を体験したのは今から30年以上前の筑波大学への進学時だった。筑波大学は寮とはいわずに、宿舎という名称で、体育専門学群(通称:体専)の私は追越宿舎に入り、医学部の学生も多かった。他にも平砂宿舎や学校の北側には一の矢宿舎もあった。風呂は管理棟の一角にあり、時間制限もあったので、体専の学生は部活動が終わったあとには風呂には入れずに、先輩のアパートなどで入っていた。私もアルバイトが中心の生活となったので、風呂に入るために4か月ほどでアパートへ引っ越すこととした。
今から考えると、同級生にはすごいメンツがおり、オリンピック選手ではスケートやフィギュアの日本代表がいたし、後日、サッカーの日本代表となるアジアの壁といわれた井原選手やゴン中山選手も同期だった。バレーボールの中垣内選手も同期だった。ゴルフの全英オープンを制した渋野日向子選手の父親も同期でデカい図体でバイクを乗りまわしていたのを覚えている。
大学生活のスタートは生活費として数万円もらって、舞い上がって近くのセブンイレブンでかご2つにいっぱいのお菓子を買って、後ろに並んだ大学生に笑われたのを覚えている。それまでお菓子を買ったこともなかったので制限もできなかった。宿舎で不便だったのが、洗濯で各フロアに数台しか洗濯機がなかったことで、とにかく不便であったが、当時はそんなものと思っていた。(つづく)