寮長のまなざし㉝スマホと「セット」

公開:2025/5/21更新:2025/5/21

昨日のことである。学校で制服のズボンの取り違えがあり、登校時には体育服で登校した寮生が、「先生、制服あった~」と弾んだ声で帰ってきた。夕方に少し時間があったので学校の体育館を見て回り、生徒が部活動に汗を流すのを眺めていた。バスケットボール女子、男子、バドミントン女子、卓球、ゴルフと順番に見て回ったが、去年も同じように体育館を見学したときと、風景が違うことに気が付いた。これが「セットといわれる認知か」と一人でつぶやきながらゆったりと歩き回った。

 セットとはある特定の対象物に関心を示すことで、対象物ばかりに目につくことである。
 例えば全く車に興味なかった人が車の購入を考え、仮にプリウスの購入を意識すると、急に町中にプリウスばかり走っているように感じてしまう。町中を走るプリウスの数は変わらないはずなのに。
 特定のバックや時計で気になるものを見つけた時にはあちこちで見かけるように感じることになる。世の中の流通量は変わらないのに。
 芸人のバナナマンが気になるとTV番組でもバナナマンばかりが出ているように感じることも同様である。それらは対象を「セット」するから知覚が増えているだけとのことらしい。ちなみに、TVのニュースで事件の話題を見ると、最近物騒になって…と思うが、実際の犯罪件数は減っているのが事実である。

 自分も寮長となり一か月が過ぎて、すでに寮生を「セット」している。先日の吹奏楽部の定期演奏会もそうだったが、学校内の部活動を見て回ってもどの部活動にも寮生が元気に活動しているのが目につき、昨年と同じ風景を見ても感じ方が異なっているのを実感している。

 人ごみの中で自分の名前を呼ばれてわかったり、多くの情報から特定のものを抽出する能力は生きていくうえで有効だから獲得したものと思う。特定の情報の取捨選択能力が高いと生き残るのに有利だったからこの様な認知能力が高くなったのだと思われる。

 おそらく、スマホがなかなか手放せない理由の一つとして、この「セット」の仕組みを利用したものも挙げられると思う。関心のあるものをどんどん見続けてしまうのは、人類が獲得した大切な能力でこれを利用してスマホを見続けるように研究もされている。

 「見続けたい」欲求を断ち切れることができるか。