寮長のまなざし㉘あいは語らないが…

公開:2025/5/16更新:2025/5/17

滅多に連絡のない友人からラインが来た。懐かしい友人からの連絡はいい連絡が少ない。
今朝は先日、高校時代の同級生が亡くなったという連絡だった。

同級生といっても高校卒業後は連絡を取ることもなく、近況も知らない同級生の一人だったが、彼が中学時代は野球部に入っており、高校野球一緒にやろうぜ、と誘って断られたのは覚えている。本人は高校野球をやりたい様子だったが、親に反対され、細かい理由は覚えてないが、どうしても高校野球をやらせてもらえない事情は聞いていた。
私は進学校から甲子園へ行くのを目標にしていたから、高校時代はグラウンドや試合の記憶が多い。身体を壊して、一時期マネージャーの時期があったが、チームは高2の春に北信越大会に出場し、星稜高と対戦したし、高2の秋に県大会でベスト4、高3の春にも県大会でベスト4まで進んだ。チームはそれなり強かったが、私はベンチが定位置で三塁ランナーコーチの専門だった。

同じ時期に同じ場所で高校生活を送った同級生には親近感がある。余計なことを考える余裕もなく、夢中で過ごした日々だったが、あの時、ああしておけばという後悔は数えきれないほどある。彼は高校野球はできなかったが、その後で人生で幸せに歩んでいたと思いたい。

私は大学院修了後に研究者に進みたいと本気で考えていたが、「あんたは長男だから、富山に戻ってきて家を継ぐ」と子どもの頃から親に言われてきたのが心に残り、一度北陸に戻る選択をした。今考えると、農家でも会社経営でもない会社員の長男が家を継ぐのはナンセンスだが、そんなことは当時は分かるはずもなかった。

家業を継いでほしい家の事情もあるが、わが子にいい人生を送ってもらいたいと願う親の気持ちは共通していると思う。親の期待と自分の希望が合致すれば、最強であるが、違う時代を生きる親と子にはそれぞれの思いにズレで出ることもなくはない。

先日、「ゼロで死ぬ」という本を読み、人生は何よりも体験や経験にお金を使うことが大事と書かれたように思う。確かに、そう思うが、お迎えの時期が分からなければ、死ぬ瞬間にゼロなど無理だろうと思う。貧乏が辛いことは学生時代に経験済みだから、死ぬ間際に貧乏で悲しい思いをするのも面白くない。

どれだけ全力でまい進しても、北斗の拳のラオウのように、「わが人生の一片の悔いなし」などと言い放つことはできないと思うが、せめて幸せな人生だったと強がりたいものだ。
ご冥福を祈ります。